カスタマイズ
断ギャンブルを始めてから2週間が経とうとしている。
ギャンブルをしたくなくなったと言えば嘘になる。
そう簡単に直るようだと誰も苦労しない。
今はギャンブルをしないように、所持するお金を管理してもらっている。
買い物は電子マネーで支払っており、現金は持たない。
現金を持つと、今までの考えや理性が吹っ飛んでしまう事がこれまでにあったからだ。
なので現金を手にする頃合いは慎重にならなければならない。
とはいえ、ギャンブルへの思いは日に日に薄らいでいってるのも確かだ。
先週には、競輪も競馬もG1という大きいレースがあったはずだ。
はずだと言ったのは、週末は台風の影響で開催されていたのか、延期になっていたのか、何も知らないからだ。
結果も知らないし、出走メンバーさえも知らない。
以前禁ギャンブルをしていた時は、出走メンバーはチェックしていたし、結果も調べていた。
しかし、今回は調べていない。興味が薄れてきているからだ。
「そういえばG1レースだったな。」
という心境だ。
どんな馬が走ろうと誰が勝とうと私にはもう関係ない。
そう思えるようになってきたのは大きな変化だと思う。
断ギャンブルを始めた頃は「絶対ギャンブルをしない」という強い気持ちを持ち日々を過ごしていた。
強い気持ちを持たないとギャンブルの欲望に負けてしまうからだ。
しかし、今は断ギャンブルの生活にも慣れてきたので、逆に断ギャンブルしている事を意識し過ぎないようにしている。
とはいえ、自分が病気だという事は忘れてはいけないので、毎日ブログを書いて再確認している。
私はギャンブルを止めて何日目とかのカウントはしていない。
そういえば2週間だなと、カウントしても1週間単位で考えている。
確かに毎日カウントしたら、これだけ止めれているんだし今日も頑張ろうとモチベーションが上がる。
しかし私の場合、カウントすると逆に断ギャンブルを意識し過ぎてしまう傾向がある。
断ギャンブルを意識し過ぎると、逆にギャンブルへの思いが募ってしまうのだ。
ギャンブルをしなくなる為にはギャンブルしていた事を忘れるのがいいと思う。
私は以前タバコを吸っていたのだが、タバコを止めた今となっては、タバコを吸っていた事さえ忘れるくらい興味がない。
なので毎日カウントするのは、敢えて止めている。
後、自分はギャンブル依存性である事は認めながらも、病気だと思い詰めないようにもしている。
あまり病気だと思い詰めると、病気である事を口実にしてギャンブルを再発してしまうかもしれないからだ。
「自分は病気だからスリップしても仕方ない」
というように。
これからは「断ギャンブルをする!」と肩に力を入れ過ぎずに、「ギャンブルと距離を置きフェードアウトしていく」というスタンスで断ギャンブルに挑んでいきたいと思う。
人それぞれ症状も違うし、取り組み方や、考え方も違う。
自分がどんな性格であるのか?これまでの断ギャンブルの失敗を振り返り、どうギャンブルと向き会えばいいのか?を考え、そして同じ境遇の方々の意見や考えを取り入れながら、断ギャンブルをカスタマイズしていく。
自分にはどんなやり方が合うのか、試行錯誤を繰り返しながら、今後も断ギャンブルに取り組んでいきたい。
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ギャンブルをして得た事
最近ブログを始めたので、ブログで収益を上げておられる方々のブログやSNSをよく読んでいる。
様々な研究をされており、ブログの書き方なども丁寧に説明してくださっているので、初心者の私が読んでも、とてもわかりやすい。
月に何十万、何百万も稼いでおられる方もいらっしゃり凄いなあと感心させられっぱなしである。
しかし、そこまでの利益を上げるまで相当の努力をしてこられたのであろう。何の戦略もなしに結果が出るようなものではない。
ブログだけではない。例えばイラストや似顔絵を描く事であったり、ロゴデザインを考えたり、自分の持っているスキルを販売されている方もたくさんいらっしゃる。
お金を稼ぐのにも様々な方法がある。
私はこれまで何をしてきたか?
ギャンブルだ。
スキルを身につける事はしてこなかった。
努力が必要な事は避けて、楽に稼げそうなギャンブルに走った。
その結果はどうだ。
今の私にはお金を産み出すようなスキルはない。
ギャンブルをして何かスキルが身についたのか?
人に教えられるのは、ギャンブルの負け方くらいだ。
今となれば無駄な時間を過ごしてきたと思う。
だがまだ人生は長い。
これからやり直す事も出来ると信じている。
もう同じ過ちは繰り返さない。
ギャンブルに支配される人生はもうこりごりである。
そして改めて誓う。
もう二度とギャンブルはしないと。
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お祭りのクジ引き
先日、家族でお祭りに行ってきた。
お祭りには、いろいろな屋台が並んでおり賑わっていた。
小さい頃を思い出すと、私は屋台のクジ引きが好きだった。
お祭りにいくと、お小遣いを握りしめクジ引きに挑戦していた。
当たりはゲーム機や、そのソフト。
数百円でゲーム機が手に入るかもしれないと、ドキドキしながらクジをしたものである。
それから30年以上経ち、私はギャンブル依存症になった。
初めてのギャンブルがお祭りのクジ引きかもしれない。
当然クジ引きでゲーム機が当たった事はない。
しかし、お祭りと聞くと屋台のクジ引きをやりたいと胸を躍らせていた。
その時点でギャンブル依存症になる素質を持っていたのかもしれない。
そして今、私は小学生の子供とお祭りに来ていた。
子供のお目当ても幼い頃の私のようにクジ引きのようであった。
私は子供に絶対ギャンブルはして欲しくない。
クジ引きとギャンブル依存症の因果関係はわからないが、小さい頃からギャンブルの無意味さを教えなければならないと思った。
しかし、「頭ごなしにクジ引きはするな」と押さえつけても反発して、余計にしたくなると思う。
そこで、まずは当たる確率の少なさについて教えていく。
そもそも、当たりがあるかどうかもわからない事と、当たりクジがあるかという疑問に対しYouTubeで検証した動画があり、その動画では当たりがなかった事を説明する。
次に、1等のゲーム機本体がお店に見当たらない事や、景品であるはずの大きなぬいぐるみが汚れていたり、洗濯したような毛並になっている事を指摘する。
子供も、それに対し同意はしたものの、まだクジ引きをしたいという気持ちは残っている。
話を聞いてみると、クジ引きの代金より高い物を当てたいという回収率を重視する考えは諦めたらしいのだが、景品はそこそこだけど、当たりやすいクジがしたいという的中率を重視した考えが残っているようだ。
そして、一軒のクジ引きの屋台でクジ引きをする事になった。
奇数が出たらあたりで、ぬいぐるみが貰える。
偶数が出たらはずれで、押せば光るゴムのおもちゃや、スライムが入ったおもちゃなど、原価でいうと数十円だと思われる物が貰える。
クジは一回500円
結果はハズレだった。
原価、数十円であろうおもちゃを手にする。
確率は2分の1
子供は、もう一度チャレンジした。
ここで止めて、クジをやりたい気持ちを抑制するより、またハズレて、2分の1の確率でも何度も外す事がある事を教えた方がいいと思った。
何回やっても2分の1の確率は変わらないという事を理解する事で、大人になった時、パチンコの回転数の表示の無意味さに気付いて欲しいという願いもあった。
パチンコは毎回約300分の1の確率であり、どれだけハマっている台でもその確率は変わらないという事を。出やすい台などない事を。300枚から1枚を当てるクジ引きにお金をつぎ込んでいるという事を。
しかし、子供は奇数を引き、ぬいぐるみを手に入れた。
子供は当たりを引き喜んだ。
しかし、ぬいぐるみは貰えたが、2回クジをして本当に良かったのか?という思いはあるようだった。
そこで、子供と一緒にそのぬいぐるみの値段を調べることにした。
原価でいうとぬいぐるみも100円くらいなのかもしれない。
しかし、ここは原価の事は置いといて、ネット上でいくらで販売されているかを調べた。
結果、似たようなぬいぐるみがフリマアプリで約1000円で売っていた。
多分、こういったクジ引きで取ったぬいぐるみを利益が出るように価格設定したのであろう。
クジ引きで使った金額より安くネット上には出てない事を確認した子供はホッとした様子だった。
しかし、これ以上クジをしていたらマイナスであった。
ギャンブルはやればやる程マイナスになる。
その事に気付いてくれたかどうかはわからない。
しかし、今後もギャンブルの無意味さを子供にはしっかり伝え、父と同じ事をしないように教えていきたいと思う。
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思考の書き換え
これまで、ギャンブルを止めようとした事は何度もあった。
しかし、まだ成功には至っていない。
なぜ、失敗したのか?
なぜ、またギャンブルをしてしまうのか?
これまでの失敗を振り返り、今回の断ギャンブルに活かしたいと思う。
私の場合、これまでスリップした時はいつも「ギャンブルを正当化」してきていた。
何かツラい事や、イライラする事など、心にストレスがかかった時に、決まって脳がこう優しく語りかけてきた。
「その感情を聞いてくれて、心に平安を与えてくれる人は誰かいるのか?もし自分の思いを人に話したとしても、その人が自分の考えに共感してくれるとは限らないよ。否定される事を言われるかもしれないよ。また傷つくかもしれないよ。」
「だったら、またギャンブルをしたらどうだろう?楽しいよ。嫌な事は忘れられるよ。一回くらい大丈夫だよ。それくらい許されるよ。こんなにツラい思いをしているのだから」
そして、私の心は揺れ動きます。
「こんな状況だから仕方ないな。一回くらい許されるだろう。明日からまた止めればいいんだ。今日一日くらい大丈夫。」
そう思いスリップしてしまう。
そして、再びギャンブルの泥沼へと足を踏み入れていくのである。
嫌な事、ツライ事、心配事、腹立つ事など心にストレスがかかると、依存症に侵された脳はギャンブルという毒薬を処方してくる。
これまでギャンブルをすると、ドーパミンが出て心の不安を消してくれていたという実績があるからだ。
その実績を盾に、脳はギャンブルを正当化する思考に書き換えていく。
そうなると衝動を抑えるのが難しくなる。
そこで、脳にギャンブルを正当化させない為の反論を考えなければならない。
その為の対策の1つとしてブログを書いている。
ブログを書く事で、冷静にギャンブルと自分との関係を見直す事ができる。
もし、心にストレスがかかった場合でも、ブログを読み直す事で、簡単にギャンブルを正当化しない思考へと導いていく。
また、ブログを公開することで自分の言葉や行動に責任感を持たし、ギャンブルの正当化を食い止める。
次の対策として、自助グループの参加や、同じ依存症の方と繋がる為SNSを始めた。
ギャンブル依存症のギャンブルしたい衝動は、依存症になった人にしか理解してもらえない部分も多いと思う。
それは例え家族であってでもだ。
「ギャンブルするのは意志が弱いからだ」
「またギャンブルしてないだろうな?」
とか言われる事がある。
これまで迷惑をかけてきた私の事を心配してくれているからこその言葉だという事は理解しているし、ありがたいと思う。
しかし、家族からこういう言葉をかけられると、依存症克服中の私にとっては辛い時もある。
こういった言葉をかけられて、自分の努力や存在を否定された気持ちになって、自暴自棄となりスリップしてしまう事もあった。
だが、同じ境遇の方の言葉や話はとても共感できる事が多い。
私も頑張ろうというモチベーションが上がるし、自分の断ギャンブルの参考にもなる。
ミーティングに参加したり、SNSの投稿を見たりし、日常的にギャンブルの危険性を脳に植え付けることによって、簡単に脳がギャンブルを正当化する事を妨げる。
あとは夢中になれる趣味や仕事や人間関係を見つける事だと思う。
今は脳がドーパミンを出そうとするとギャンブルしか選択肢がない。
しかし選択肢が増えれば、脳がドーパミンを出そうとする場合に、日常的に否定してきているギャンブルをわざわざ選ぶ事もないだろう。
その為にいろいろな事に挑戦してみる事にする。
ランニングや筋トレも始めてみた。
これからも興味がある事には積極的に取り組んでいこうと思っている。
そして「楽しい事=ギャンブル」ではないという考えを毎日根気強く脳に刷り込んでいこうと思う。
ローマは一日してならず
毎日の積み重ねが結果につながる。
そう思いながら今日もブログを書いている。
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ネット投票
最近、キャッシュレスという言葉をよく耳にする。
現金で支払わず、クレジットカードや電子マネーで支払いをする事だ。
ギャンブルでは、パチンコ、パチスロは現金を使って行っている。
しかし、競馬、競輪、競艇、オートレースなどは現金を使い、馬券や車券を購入する事はほとんどない。
わざわざ現地や場外馬券売り場に行かなくとも、ネット投票で馬券、車券を購入する事ができるからだ。
ネット投票は指定の銀行口座から馬券、車券購入サイトに入金し、馬券、車券を購入する。
なのでスマホ1台あれば手軽にギャンブルができる。
ネット投票は便利な反面、ギャンブル依存症を増長させているといえる。
投票サイトに入金すると、自分の残金の表示があるので、今自分がどれだけの資金があるのかはすぐにわかる。
しかし、実際に現金に触れてない分、お金という感覚が希薄になっている。
それはゲームをやっているような感覚で、お金というより、ゲーム上のポイントでギャンブルをしているような感覚になる。
そして、資金が0になると、ゲームを続けるためにポイントを補充しようというのと同じような感覚になっている。
もし、そこで自分の口座にお金がなくなったらどうするか?
クレジットカードでキャッシングをする。
そして、銀行口座に入金しギャンブルを続ける。
キャッシングが限度額までいくと、次はクレジットカードのショッピング枠を使う。
競輪やオートレースはショッピングするように車券もクレジットカードで買う事が出来る。
競馬に関してはクレジットカードで買う事は出来ない。(私が調べた限りの話である。もしかしたら買えるサイトもあるのかもしれない)
クレジットカードが限度額になったらどうするか?
消費者金融でお金を借りるようになる。
ここでも実際に現金に触れる事はない。
消費者金融会社が自分の口座に即時入金してくれるからだ。
もうこうなったら、完全にお金を借りているという感覚はなくなってしまっている。
ゲームをコンテニューしている感覚だ。
借金の限度額になるまでゲームで遊べるといった感覚。
勝ちたい、お金が欲しいという思いはあるのだが、ギャンブルで遊びたい、ゲームで高得点を出したいと思うように高配当を当てたいという思いの方が強い。
消費者金融で限度額一杯まで借金をしたらどうするか?
クレジットカードも限度額になったら、私は、携帯会社が発行しているプリペイドカードを使っていた。
携帯会社のプリペイドカードに入金する時、携帯の月々の通信料金と合算で支払う事が出来る。
その為、お金がなくてもギャンブルはできる。
こちらも限度額までプリペイドカードに入金してギャンブルをする。
ここまですべて限度額まで使った場合、数百万に借金が膨らんでいる。
しかし、この借金、実際にお金を触れた事は一度もない。
すべてスマホの中で完結しているのだ。
ギャンブル依存症である私は、ギャンブルをしている時はお金をお金だと思っていなかった。
パチンコや、パチスロでは現金を使うが、買い物で使うお金と同じ感覚ではなくなっている。
買い物する時は少しでも安い方を選ぶ。もし自分の買った商品が、他の店で安かったらヘコむ。
例えそれが数十円でもだ。
しかし、ギャンブルで1000円負けても何とも思わない。1000円負けなら御の字と考えている。
負けは大きい配当を当てる為には必要な負けだと思っている。
借金してギャンブルしているにもかかわらずだ。
キャッシュレスは時として、お金の事をお金だと感じさせない側面があると思う。
スマホがあれば、手軽にショッピングやギャンブルが出来る。
しかし、気をつけないとすぐに依存症になってしまう。
お金の大切さを感じなくなってしまう。
一度そうなってしまうと戻るのはとても大変な事である。
身近な人でネット投票やオンラインカジノなので遊んでいる人がいたら、依存症でないか一度確認した方がいい。
依存症は恐い病気である。
それは特別な病気ではない。
身近に潜んでいて、本人も気づかないうちにかかってしまっている。
手遅れになる前に対処しなければならない。
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見えざる力
あなたはスピリチュアルな存在を信じていますか?
例えば、自分を守ってくれている守護霊など霊的な 存在を。
私は信じている。
かといって霊感があるわけではない。
なので、オーラの色が見えるとか、霊の姿が見えるなどの経験をした事はない。
しかし、先祖様であったり、亡くなった祖父、祖母、父など自分に近い存在が守護霊として、自分を正しい道に導いてくれているのだな、と感じる事がある。
私が今回断ギャンブルを真剣に取り組もうと決意したのもそういう存在を感じたからだ。
それは以前ブログにも書いたのだが、私が競輪をどうしても止めれなかった時、競輪がシステム障害で中止になった。
その時、私は「もう競輪を止めなさい」という天からの啓示だと思った。
あまり、こういった類の事を信じておられない方はこう思うだろう。
1人の平凡なギャンブル依存症の男に競輪を止めさせる決心をさせる為、全国の競輪を丸1日中止にするような大きな力を働かせたと言うのか?
そんな事有り得ないだろう。お前はそれほど特別な存在なのか?自惚れ過ぎだろう?
それは仰る通りだと思う。
私はそんな特別な人間ではないし、私の為に競輪が中止になるなんて有り得ない事だろう。
しかし、私の中にあったギャンブルを止めたいと思う気持ちを行動に変えたのは事実だ。
ギャンブルを止めようと頭で思っていても実際行動に移すのは難しい。
しかし、それを神や、守護霊の力だと思う事ですんなり自分を行動に移す事ができたのだ。
禁ギャンブルを何度も失敗して、ギャンブルを止める事は自分には出来ないと、どこか諦めていたのではないかと思う。
しかし、自分の事を自分が信じてあげないと、出来る事も出来なくなってしまう。
そういった自信のない状態の時に、天からの啓示を受けたと感じ、自分はいつも守護霊に見守られているのだという感覚になった。
これまでギャンブルはいつも1人でやってきた。
家族にも隠れてギャンブルしていた。
ギャンブルをしている時は孤独だった。
その孤独感がさらにギャンブルを増長させていった。
だが、常に見守られているのだなと感じた時、その孤独感は無くなった。
一人で止めれなかったギャンブルだが、自分の近い人が守護霊として付いていてくれているのなら止める事が出来るのではないかとその時思った。
そうして、すぐ行動に移した。
それが1週間前の出来事である。
断ギャンブルにおける最大の敵は孤独感ではないかと思う。
時間を持て余し1人でいる時。
仕事で失敗したりとか、嫌な事があったりした時に、それを誰かに打ち明ける事なく、自分の中で溜め込んでしまった時。
私の場合、そんな孤独感を感じる時に、無性にギャンブルがしたくなる。
今、そういった孤独感を感じた時には、家族と会話をしたり、自助グループのミーティングで聞いた話、SNSでのやりとり、ブログで書いた事を思い出すようにしている。
ギャンブルを止めようとしているのは自分だけでない。
ギャンブルを止めようと頑張っている人はたくさんいるのだ。
自分だけがツラい訳ではない。
私はそう思うと頑張れるようになる。
ギャンブルを止めるのに重要なのは孤独にならない事だと思う。
また、どんな人にも守ってくれている守護霊がいると思う。
だから、みんな1人でいる時も1人じゃない。
見えないだけでいつも見守られているのだ。
そして自分の事を一番わかってくれている。
もちろん、ギャンブルしている間も見守られているのだ。
ギャンブルで負け続けているのは、
「もうギャンブルを止めろ」
と言われているサインである。
そのサインを見逃してはいけない。
守護霊は私を幸せにしようとしている存在である。
それが自分自身で作り上げた妄想だとしても、そこは乗っかっていっていいと私は思う。
科学的に証明されないオカルトだと他人に否定されても、なにか宗教団体に勧誘されるのではないかと思われてもそれはそれでいい。
ギャンブルで身を滅ぼすよりよっぽどマシである。
こういったスピリチュアルな存在を信じるか信じないかは、貴方次第です。
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1週間経って
断ギャンブル、ブログ開始から1週間経った。
何度かギャンブルしたい衝動に駆られたが、どうにか持ち堪えた。
持ち堪えた要因には、やはりブログの存在は大きいと思う。
1日1投稿を目標にブログを書いてきた。
今の思いを正直に書いてきたつもりだ。
これまでに日記を書いた事はあった。
しかし、書いていた日記は、読まれる事はないのに、何故か人の目を気にしていたように思う。
一般論というか、綺麗事というか、正直に自分の気持ちを書いてなかった。
そして、こんなものは意味がないと思い、いつも書く事のを止めていた。
ブログを始めるにあたり、今度は自分の気持ちを正直に書こうと思った。
「しょうもない事言っとるわ」
と思われるかもしれない。
しかし、それが今の気持ちなのだから仕方ない。
そう割り切る事にした。
私はギャンブル依存症に打ち勝つ為にブログを書いている。
また、もし今後、自分の進む道に迷いが出た時に、これが道しるべになるように書いている。
今の自分の気持ちを整理する為に書いている。
実際、自分の考えを整理することはできていると感じている。
ギャンブル依存症の方でSNSで投稿されている方はたくさんおられます。
ギャンブル依存を治す為に、いろいろな取り組みや、自分の思いを投稿されています。
その多くの投稿の中で、どの言葉が自分の心に刺さるかは、人によって違うと思う。
もし、このブログを読んで共感できる方がいらっしゃったら幸いだと思うし、読んでくださっている方が1人でもいらっしゃる以上、私はギャンブルをするわけにはいかないという責任感を持っている。
こんだけ好き勝手言っといて途中で断念、などもってのほかだと思う。
私はギャンブル依存症からの脱却を、こう例えてみる。
ギャンブルという国があって、そこから逃げだそうとしている。
ギャンブルの国はネオンの光で昼間のように明るいし、楽しい音楽がいつも流れている。しかし、国を一歩外に出ると真っ暗闇であり、物音一つしない。
ギャンブルの国を抜けて他の国に行くにはこの暗い闇の中の道を通らなければならない。
意を決し、いざ暗やみを歩きだすとその大変さが実感できる。方向感覚も分からない暗闇。前を進んでいるのか、同じところをぐるぐる歩いているのかわからない不安。恐れ。
振り返ると煌々と輝くネオンの光。ギャンブル国に戻ったらこんな怖い思いはしなくて済む、と脱落者も多い。
しかし、不安を抱えながらも進んでいく。
すると、少しながら目も慣れてきて、道にメモが所々に落ちているのに気付く。
そのメモを手に取り読んでみると、これまで脱国を試みた方々のメモである。
この暗闇の道を攻略する為のアドバイスや気づきが書かれている。
それがSNSの投稿であり、ブログである。
この道を通るのは自分だけじゃないんだ。
そう思い、目を凝らして周りを見てみると何人かの人がいるのに気付く。
自助グループであったり、SNSであったり、共に依存症と戦っておられる方々である。
ここから抜けだそうとしているのは自分だけじゃないんだ
そう思い、近寄っていき恐る恐る手を出してみる。
そうすると、出した手を握り返してくれる。
1人じゃないと改めて実感する。
これまであった不安が解消される。
辛いことがあれば呟けばいい。
心が折れそうだったら聞いてもらえばいい。
1本の矢より3本の矢の方が折れにくい、毛利元就理論でいけばいい。
なので自助グループのミーティング参加や、SNSの参加は必要だと思う。
これまで断ギャンブルに失敗した時はこのような活動に参加していなかった。
今回はやれる事はやってみる。
そして、ギャンブルとの戦いに終止符をつける。
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