思考の書き換え
これまで、ギャンブルを止めようとした事は何度もあった。
しかし、まだ成功には至っていない。
なぜ、失敗したのか?
なぜ、またギャンブルをしてしまうのか?
これまでの失敗を振り返り、今回の断ギャンブルに活かしたいと思う。
私の場合、これまでスリップした時はいつも「ギャンブルを正当化」してきていた。
何かツラい事や、イライラする事など、心にストレスがかかった時に、決まって脳がこう優しく語りかけてきた。
「その感情を聞いてくれて、心に平安を与えてくれる人は誰かいるのか?もし自分の思いを人に話したとしても、その人が自分の考えに共感してくれるとは限らないよ。否定される事を言われるかもしれないよ。また傷つくかもしれないよ。」
「だったら、またギャンブルをしたらどうだろう?楽しいよ。嫌な事は忘れられるよ。一回くらい大丈夫だよ。それくらい許されるよ。こんなにツラい思いをしているのだから」
そして、私の心は揺れ動きます。
「こんな状況だから仕方ないな。一回くらい許されるだろう。明日からまた止めればいいんだ。今日一日くらい大丈夫。」
そう思いスリップしてしまう。
そして、再びギャンブルの泥沼へと足を踏み入れていくのである。
嫌な事、ツライ事、心配事、腹立つ事など心にストレスがかかると、依存症に侵された脳はギャンブルという毒薬を処方してくる。
これまでギャンブルをすると、ドーパミンが出て心の不安を消してくれていたという実績があるからだ。
その実績を盾に、脳はギャンブルを正当化する思考に書き換えていく。
そうなると衝動を抑えるのが難しくなる。
そこで、脳にギャンブルを正当化させない為の反論を考えなければならない。
その為の対策の1つとしてブログを書いている。
ブログを書く事で、冷静にギャンブルと自分との関係を見直す事ができる。
もし、心にストレスがかかった場合でも、ブログを読み直す事で、簡単にギャンブルを正当化しない思考へと導いていく。
また、ブログを公開することで自分の言葉や行動に責任感を持たし、ギャンブルの正当化を食い止める。
次の対策として、自助グループの参加や、同じ依存症の方と繋がる為SNSを始めた。
ギャンブル依存症のギャンブルしたい衝動は、依存症になった人にしか理解してもらえない部分も多いと思う。
それは例え家族であってでもだ。
「ギャンブルするのは意志が弱いからだ」
「またギャンブルしてないだろうな?」
とか言われる事がある。
これまで迷惑をかけてきた私の事を心配してくれているからこその言葉だという事は理解しているし、ありがたいと思う。
しかし、家族からこういう言葉をかけられると、依存症克服中の私にとっては辛い時もある。
こういった言葉をかけられて、自分の努力や存在を否定された気持ちになって、自暴自棄となりスリップしてしまう事もあった。
だが、同じ境遇の方の言葉や話はとても共感できる事が多い。
私も頑張ろうというモチベーションが上がるし、自分の断ギャンブルの参考にもなる。
ミーティングに参加したり、SNSの投稿を見たりし、日常的にギャンブルの危険性を脳に植え付けることによって、簡単に脳がギャンブルを正当化する事を妨げる。
あとは夢中になれる趣味や仕事や人間関係を見つける事だと思う。
今は脳がドーパミンを出そうとするとギャンブルしか選択肢がない。
しかし選択肢が増えれば、脳がドーパミンを出そうとする場合に、日常的に否定してきているギャンブルをわざわざ選ぶ事もないだろう。
その為にいろいろな事に挑戦してみる事にする。
ランニングや筋トレも始めてみた。
これからも興味がある事には積極的に取り組んでいこうと思っている。
そして「楽しい事=ギャンブル」ではないという考えを毎日根気強く脳に刷り込んでいこうと思う。
ローマは一日してならず
毎日の積み重ねが結果につながる。
そう思いながら今日もブログを書いている。
オラな元気を分けてくれ!
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