断!断!ギャンブル

ギャンブル依存症からの脱却日記

自分は特別なギャンブラーではない



断ギャンブルを始めて3週間


私はまだ本当にギャンブルを捨てきれていないと思う。


まだ、心のどこかでギャンブルをしようとしている自分がいる。


「こういう買い方をしたら負けないのではないか?」


とか、


「競馬における一番人気の複勝率は65%ある。うまくやれば利益が出るのではないか?」


とか、ふと考えてしまう。


しかし、そんな考え方、予想法は私が思いついた特別な考えではない。


誰もが一度は考えた事がある事ばかりである。


自分の考えている買い方を実践して失敗された話をツイッターなどで見たりすると、


「自分の考えは間違っているな。やはりギャンブルで儲けられないな」


と思い留まる。


「いや、私だったら失敗しない!」


という気持ちは一切起こらない。


「こういった賭け方をしても儲からないよ」


と投稿された方が教えてくださっているからである。


こういった投稿や話を見聞きすると、自分の考えが間違っているのだと言う事を再認識させてもらえる。


とてもありがたい事である。


自分の考えている予想法なんて特別なものでも何でもない。


もうすでに誰かが思い付き、実践しているものばかりだ。


自分は特別な予想をするギャンブラーで、儲ける事が出来ると思ったら大間違いである。


実際、借金する程ギャンブルで負けている。


それこそが何よりも証拠ではないか?


自分の予想法を盾にギャンブルをするのは愚かな行為である。


それに気がついていないのは本人だけである。


自分は特別なギャンブラーではない。


ただのギャンブル依存性である。



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季節の空気感


夏が終わり、秋が感じられる季節になってきた。


こういった季節の変わり目の朝、家から出た瞬間に感じる温度や景色、空気感、こういった変化を体感した時に、ふと昔の事を思い出す事がある。


例えば春だと、学校に入学した時の緊張感とか、夏は海に出かけた記憶、秋は子供の頃に楽しみにしていた運動会などである。


私の場合、キンモクセイの香りを嗅ぐと小学校時代の運動会を思い出していた。


小学校の運動場の片隅にキンモクセイが植えてあり、運動会の時に花が咲いていたからだ。


しかし、最近はキンモクセイの香りを嗅いでも、運動会の事が頭に浮かばない。


何十年も前の事なので記憶が薄れているだけなのかもしれない。


ではどんな記憶が蘇るのか?


パチンコで負けた時の記憶である。


パチンコ屋の帰り道にキンモクセイの木があり、負けた帰り道によくその香りを嗅いでいたからだ。


夏の暑い日もそうだ。


パチンコ屋に海物語を打ちに行った思い出が蘇る。


このように、ふと季節の変化を感じるような時に思い出す事はギャンブルの事か借金で苦しんでいた時の記憶ばかりだ。


人は死ぬ前に今までの人生の記憶を走馬燈のように思い出すという。


このままギャンブルを止めずに生きていくと、死ぬ間際に思い出す事はギャンブルや借金の記憶ばかりではないだろうか?


家族との楽しかった思い出や、友人達との思い出、そんな記憶を思い出す事なく、ギャンブルの思い出が蘇る。


死ぬ最期の映像がそれでいいのか?


決して良くないだろう。


そうならない為にもギャンブルを止める。


今日もそう自分に言い聞かせ、断ギャンブルを継続していく。



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本当にあった怖い話


昨日はギャンブルをしたい衝動に襲われた。


トリガーになったのは、ネットニュースで見た競馬の見出しである。


来週は天皇賞というG1レースがある。


その天皇賞に出走する馬の事が書いてある記事の見出しだった。


あの馬も出るんだ


と私は思った。


「あの馬も」の「も」と言うのには訳があって、以前違うネットニュースの見出しを見て、他の強い馬が天皇賞に出ることは知っていたからだ。


競馬ファンからしたら楽しみな一戦となるだろう。


こういった競馬の情報は意識的にスルーするようにしていたのだが、今回は立ち止まってしまった。


そうなると、馬券が買いたくなるものである。


しかし、お金は自分で管理していないので、所持金は小銭程度。ただ、お金を借りる術は知っている。


少しだけ用立てて競輪で増やして週末のG1しようかな?


という考えがふと浮かんでくる。


しかし、考え直す。


断ギャンブルを始めてまだ1カ月も経っていない。


ブログでも、もうギャンブルをしないと散々言っといてもう諦めるのか?


それでもギャンブル熱は収まらない。


ブログに書く必要はないだろう?スリップした事を書かなければいい。


ギャンブルもハマらなければいいんだ。うまく付き合っていけばいい。今回は自制できる。


そういう考えが止まらなくなってくる。


時計を見ると夜8時すぎ。競輪はやっている。


競輪のサイトを見てしまう。


8時半投票締め切りで競輪の決勝レースが行われる予定になっている。


このレースがしたい。


出走表を見る。簡易な予想をしてしまう。


したらいけない。この一回をしてしまうと自制が効かなくなる。


競輪をしたい衝動との戦いが続く。


意識を競輪から遠ざけながら、競輪したい熱が冷めるのを待つ。


そして8時半が過ぎた。


車券を買う事はなかった。


結果を見る。


予想は外れていた。


ここで競輪したい衝動は治まる。


ギャンブルで儲かる事はないんだ。


その時の事を振り返ると、まるでそれはテレビや本などでよく見る恐い話のように思える。


異世界に迷い込んでしまい、そこから抜け出す道を見つけるのだが、「帰り道に後ろから声を掛けられても絶対後ろを振り返ってはいけない。振り返れば一生元の世界に帰る事は出来なくなる。」と忠告され、振り返らないように気をつけるのだが、悪霊があの手この手を使い振り返らそうとする話だ。


結局、私は振り返らなかった。


しかし、出走表やレース結果を見たりしたし、簡易ながら予想もしてしまった。


もし、結果を見て予想が当たっていたらギャンブル熱がさらに上昇していたかもしれない。


そう考えると、ゾッとしてしまう。


自分は落ち着いたと慢心してはいけない。


そう思える出来事だった。



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休日の過ごし方



私は基本的に土曜と日曜は仕事が休みである。


週末は25年近く毎週馬券を購入してきた。


その週末の競馬をしていた時間をどう過ごすべきか?


この土日は、妻も仕事、子供も友達の家に遊びに行き、私は1人だった。


断ギャンブルを始めてから、初めての1人の時間。


ギャンブルをしていた頃は、誰にも邪魔されない競馬の時間。


ギャンブルの欲求は少なくなっているものの、断ギャンブルしてまだ日も浅い。スリップしないように細心の注意を払う。


どこかに出かけようか?


しかし、外で何かをするにしてもお金がいる。


外は誘惑が多い。今はまだ家にいる方がベターである。


なのでまずは掃除をする事にした。大掃除の時にしかしていないようなところを掃除する。


掃除をして、綺麗になるのを見るとやはり気持ちがいい。


これからも週末は時間があるので、ある程度で留めておく。


次に、映画鑑賞をしようと思ったのだが、競馬はG1レースもあり、気になって集中できない可能性も予想できた。


ではどうするか?


ここで私は昼寝をした。


休みの日に寝るのは、とてももったいない。


しかし、スリップしない一番の方法は寝ることだ。


メインレースの終わる16時くらいまで寝ると、競馬の誘惑から逃れる事ができる。


そうしてるうちに家族が帰宅してくる。


そうすると一安心である。今日スリップする事はない。


自分の事は自分が一番わかっている。


「この位の事だとスリップの心配はないだろう」
と思う事もある。


しかし、それがギャンブル依存性のもう一人の私の指令かもしれない。


これくらいの事でスリップしないだろうという考えは、一種のギャンブルである。


確実にスリップしない方法を選択しなければならない。


私はギャンブル依存性である。


自分の考えをも疑ってかからなければならない。


それが本当に自分自身の考えであるのかどうかを。


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自分対自分



テレビを見ていると、新作映画であるウィル・スミス主演の「ジェミニマン」という作品のCMがやっていた。


まだ未見なのだが、どうも内容は伝説のスナイパーが自分の全盛期の頃のクローンに命を狙われるというストーリーとの事だ。


これはギャンブル依存性と戦う者と同じだなと思った。


断ギャンブルをしている人は常にギャンブル依存性だった頃の自分と戦っている。


ギャンブル依存性だった昔の私は、隙あらば、私にギャンブルをさせようとする。


敵はお金が無くてもギャンブルをする術を知っているし、私の弱い部分も知り尽くしている。


しかし、こちらも相手の手の内はわかっている。


まさに騙し合いの戦いである。


自分自身をうまく騙し、ギャンブルの息の根を止める。


長く厳しい戦いになるだろう。


しかし、最後に立っているのはギャンブルを止めた私である。


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タイアップ


私は映画鑑賞が趣味の一つだ。


そんな私がパチンコ、パチスロをしてきて得たものというと様々な作品との出会いだと思う。


これまで知らなかった作品、知ってはいたが観た事なかった作品などを観る事が出来たのは、パチンコ、パチスロのおかげである。


パチンコ台、スロット台は映画やアニメ、ドラマなどとタイアップした台が多い。


その作品のファンをパチンコに取り込もうとする為だ。


またその逆も然りであって、パチンコ愛好者がパチンコ台からその作品を知って、見てみることも多いと思う。


私は前者でもあり、後者でもあった。


私の場合、元々作品のファンでそのタイアップ台に貢いできた作品といえば、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」、「ルパン3世」、時代劇「必殺仕事人」の3点だ。


この3つはパチンコでタイアップする前からのファンであり、パチンコ、スロットでタイアップされた時は相当打ち込んだし、パチンコの演出に痺れたものである。


やはり作品をよく知っているだけに、台を打っている時の興奮度はハンパない。


大当たり時に流れる主題歌を聴くと、もう鳥肌ものである。


「どれだけ注ぎ込んでも、大当たりさせて主題歌を聴くぞ」


という気持ちになっていた。


逆にパチンコから作品を知ってファンになった作品は、アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」「化物語」シリーズドラマ「牙狼」シリーズである。


魔法少女まどか☆マギカ」、通称「まどマギ」は名前は知っていたが観た事はなかった。


人気があるのは知っていたが、絵が好きではなかったので観ていなかったのである。


しかし、パチスロでタイアップされ人気機種となった影響で私も1度観てみようと思った。


そしていざ観てみると、すっかり「まどマギ」の虜になった。


どこかメルヘンチックな絵とは裏腹になかなかヘビーなストーリー。


「これは人気出るわなあ」と納得の作品だった。この後、さらにスロットに貢いでしまった。


化物語」「牙狼」はパチンコ、パチスロでタイアップされるまでこの作品を知らなかった。


化物語」はスロットでの演出がカッコ良いと思い、アニメも見てみようと思った。この作品は「物語」シリーズとしてシリーズ化され、今も続いている作品だ。


男子高校生が吸血鬼に噛まれ、死なない身体になり、「怪異」と呼ばれる霊的なものと対決するストーリーである。


こちらもさすが人気作品というだけの事はあり、すっかりハマってしまった。


グッズやフィギュアも家に並んでる。


だが家族には気持ち悪がられている。


そして「牙狼」である。このパチンコ台が出た当初は爆発台として人気があった。


魔界騎士と呼ばれる牙狼がホラーといわれるモンスターを倒していくというストーリー。


小さい頃見た、ヒーロー戦隊ものや、仮面ライダーなどのヒーローものを大人向きにしたような作品である。


この作品もシリーズ化しており、その都度パチンコもタイアップしている。


これらの作品を観て、ファンになればなるほどパチンコ、パチスロにハマっていった。


パチンコの演出に痺れ、大当たり時の主題歌に感動し、収支など二の次だった。


パチンコ屋の思うツボである。


しかし、こういった作品に出会えた事は感謝している。


パチンコをしてなければ出会う事が出来なかった作品たちだ。


唯一、パチンコをして良かったと思える事である。


しかし、今後この作品らを観た時にパチンコしたい衝動に駆られないかという不安はある。


しかし、パチンコに負けない位の魅力がある作品達なので大丈夫だと思い込む。


スリップの不安から好きな作品を心の底から楽しめないのは残念である。


しかしギャンブル依存性に舞い戻る事を考えたら、それも仕方がない。


好きな作品をスリップの言い訳にしたくない。


その想いを胸にこれからも作品を楽しんでいきたいと思う。




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行きつけのパチンコ屋


ギャンブル依存真っ只中の頃、ギャンブルの優先順位はこうだった。


競輪→中央競馬地方競馬オートレースパチスロ→パチンコ


この順位は勝った時の報酬が多かった、または勝った時に報酬が大きいであろうと私が考えていた順番と比例している。


当時の私は、競輪や競馬は100円が数万〜数十万円になる可能性があるし、賭けるお金を増やせば100万円以上勝つ事も不可能ではないと考えていた。


しかし、パチンコやパチスロは大きく勝つのが年々難しくなっていると考えていたし、実際そうであると思う。


度重なる規制により出玉の数が減少してきているからだ。


その為、客足が遠のき閉店するパチンコ屋も増えてきている。


パチンコ、パチスロ全盛期の頃は一日に何十万円も勝つ事は不思議ではなかった。


街中、至る所にパチンコ屋が立ち並び、朝からパチンコ屋の前は長蛇の列だった。


イベントの前日なんかは、スロットの高設定の台を取る為に、前日閉店前から並んでいる人もいた位だ。


またモーニング台と呼ばれる、もうすでに大当たりしている状態の台が何台か置いてあったりもした。


その台目当てによく朝から並んだものだ。


今ではもう禁止されており、モーニング台はない。


その頃から比べると今のパチンコ、パチスロはとても勝ちにくくなっていると思う。


かといって、パチンコ、スロットを止める訳ではなかった。


そんな時、近所の行きつけのパチンコ屋が閉店する事となった。


もう20年以上通っていたパチンコ屋だ。


特によく出る店でもなかった。しかし、近所という事もあり、パチンコするならこの店で打つ事が多かった。


ほとんど負けた記憶しかないのだが、いざなくなると思うといろんな思い出が蘇ってくる。


そして、そのお店は閉店を迎えた。


その時に不思議な事が起こった。


パチンコ、スロットに対する欲求が薄れたのだ。


他のお店に行ってパチンコを打ったりしたのだが、どこか気分が乗らない。


置いている台のラインナップは閉店した店と変わらないし、むしろ多いくらいだ。


しかし、どこか楽しめないでいる。


これはパチンコに依存していたのではなく、あの閉店したパチンコ屋に依存していたのか?と思うようになった。


パチンコを打つという行為より先に、そのお店に入る事ですでにドーパミンが出ていたのだと思う。


そして、パチンコ、パチスロをしたいという欲求を増幅させていたのではないだろうか?


しかし、知らない店に入ってもその店での成功体験はない分ドーパミンの出る量が少ない。


そんな状態でパチンコを打ちはじめたので気分が乗らなかったのかもしれない。


最近では、競輪や地方競馬など配当の大きいギャンブルが手軽に出来るようになったのでパチンコを打っても前ほど興奮できないようになっていた。


その足りない部分を、行きつけのお店に行くという事で補っていたのではないだろうか?


ともかく原因は不明だが、パチンコに対する欲求が無くなったのはこの閉店が大きかったと思う。


私は今後スリップしないヒントがここにあるような気がした。


この事を参考にして、いつも週末に競馬新聞を買いに行っていたコンビニや、ギャンブルで勝った時によく食べに行っていた飲食店、勝ったお金でよく買っていた商品など、ギャンブルと紐付けできる物事は出来るだけ避けるようにしている。


脳が勝手にギャンブルを思い出し、ギャンブルしたい欲求を増幅させない為だ。


ギャンブルに対する欲求は少なくなってはきているがゼロではない。


どこにギャンブル再発のトリガーがあるかわからない。


その為には今までの普段の行動をも変える必要があると思う。


そこまでしないとギャンブル依存は克服出来ない。


念には念を入れて日々を過ごしたいと思う。




オラに元気を分けてくれ!

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